五知の赤旗とは? わかりやすく解説

五知の赤旗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 23:05 UTC 版)

福寿寺 (志摩市)」の記事における「五知の赤旗」の解説

五知には平家の落人伝説がある。伝説によれば寿永の乱落ち延びた平氏伊勢国度会郡菖蒲池(現・伊勢市矢持町にたどり着き、さらに山を越えて五知へやって来て余生過ごし今もなお子孫続いているという。この伝説を裏付けるものとして「平家赤旗」または「五知の赤旗」と呼ばれる旗が2流残されている。制作年代南北朝時代から戦国時代にかけての動乱期であり、平家の子孫が勢力誇示するために制作した伝えられる。旗は朱色塗られ素材絹帛けんぱく)である。この旗は普段一般公開ていないが、志摩市歴史民俗資料館開かれた文化財展で2018年平成30年3月公開された。 平家赤旗のうちの1流は、天照皇大神春日大明神八幡大菩薩神仏の名が書かれている天照皇大神中央一段高書かれ、その右側八幡大菩薩左側春日大明神と書かれ、長さ99.9 cm、幅は36.4 cmであり、下半分は失われている。平家一族信仰する厳島明神熊野三山神仏ではなく、敵である源氏信仰する八幡大菩薩藤原氏氏神である春日大明神の名を旗に掲げているのは一見すると謎であるが、『磯部郷土史』では八幡大菩薩を「武運長久願ったもの」、春日大明神を「日本中で広く知られた神であるため」と解釈している。 もう1流は長さ 2.5m、幅36.4 cmで、平家家紋であるアゲハチョウ2匹描かれている。アゲハチョウは旗の上下に配置され上のチョウ左向き、下のチョウ右向き描かれている。 この2流の旗は「五知の赤旗」の名称で2004年平成16年8月23日志摩市指定時点では磯部町)の有形民俗文化財指定された。

※この「五知の赤旗」の解説は、「福寿寺 (志摩市)」の解説の一部です。
「五知の赤旗」を含む「福寿寺 (志摩市)」の記事については、「福寿寺 (志摩市)」の概要を参照ください。

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