原谷弁財天(はらだにべんざいてん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 15:19 UTC 版)
「原谷 (京都市)」の記事における「原谷弁財天(はらだにべんざいてん)」の解説
1186年(文治2年)に、落ち延びた平家一門が当地の坤方向(北西)に弁財天を祀り、「戦いの神」として信仰したとされる。明治以降に当地の深刻な過疎化で、一端は仁和寺へ遷座されたものの、1951年(昭和26年)に近隣の民家へ出迎えた。1978年(昭和53年)には流造の新社殿が落成し、大護摩供養、遷座祭を実施。再び当地の氏神として祀られることとなった。なお、本殿後方には「白龍大神」が祀られている。
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