宗廟遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 03:40 UTC 版)
肥前松浦党の始まりは、1068年嵯峨源氏の源久が宇野御厨荘官として下向、松浦彼杵郡壹岐国に所領を持ち梶谷に住み松浦の苗字名乗ることによる。その子である伝直夫妻の墓、現存する石造物で最も古い宝筐印塔(室町前半)である伝久の遥拝墓、直の子清の遥拝墓と伝えられる宝筐印塔がある
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