宗廟制度の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/11 13:33 UTC 版)
宗廟とは、祖先の位牌を安置する廟(みたまや)のことで、春秋時代から王侯の祭祀の場として重要なものとなっていた。前漢の時代に儒教が国教とされると、儒教においては身分によってこの宗廟に祭ることができる祖先の数を限っていたために、皇帝の宗廟を巡って政治的な論争が行われた。儒教によると、「天子七廟」といって、皇帝は七代(以上)の祖先を祭ることができた。皇帝の宗廟は天命を受けた祖先を中心に祭られ、天命を受けた祖先は太祖などと呼ばれ、一般に王朝の初代皇帝があてられた。太祖を祭る宗廟を特に「太廟」という。 前漢の時代にはこのような宗廟が皇帝の陵墓ごと、また諸侯の郡国ごとに設置されていたが、儒家の礼説に基づいて後漢時代には国都の宗廟のみに限られた。これに伴って、皇帝祭祀の中で皇帝陵を祭る陵祭の比重は低くなった。
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