洞院公連とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 人名 > 美術人名辞典 > 洞院公連の意味・解説 

洞院公連

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/05 04:46 UTC 版)

 
洞院 公連
時代 室町時代 - 戦国時代
生誕 不詳
死没 不詳
官位 正三位左近衛[権]中将
主君 後土御門天皇[1]後柏原天皇
氏族 西園寺家洞院家
父母 父:西園寺実遠
母:不詳
兄弟 西園寺公藤公連
特記
事項
洞院家の再興時の当主。
テンプレートを表示

洞院公連(とういん きんつら)は、室町から戦国時代にかけての公卿西園寺実遠の次男。洞院公数後に断絶した洞院家を継承。官位は正三位左近衛中将

経歴

文明8年(1476年)、正二位前権大納言洞院公数が出家し、洞院実雄以来の洞院家は断絶した。数年後、公連が洞院家の本家・西園寺家の当主西園寺実遠の次男として、断絶した洞院家を継承。延徳2年(1490年)に左近衛中将の官職で従三位に叙され公卿となった。明応4年には正三位に昇叙するも、その後は官職・位階ともに停滞。文亀元年(1501年)4月に出家し、洞院家は再び断絶した。甘露寺親長編修の『洞院系図』は「左府西園寺申請相續之儀、續一流云々、有名無實歟」と評し、実遠の申請による公連の継承を、正三位・左中将止まりの事績では「洞院家相続は形骸化していた」と分析している。

官歴

◌主に『公卿補任』を参考とした。日付は旧暦による。

系譜

脚注

  1. ^ 公連の延徳2年以前の官歴が明らかでないため、ここでは仮に延徳2年から算定する。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「洞院公連」の関連用語

洞院公連のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



洞院公連のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの洞院公連 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS