洞院公連
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時代 | 室町時代 - 戦国時代 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 正三位・左近衛[権]中将 |
主君 | 後土御門天皇[1]→後柏原天皇 |
氏族 | 西園寺家→洞院家 |
父母 | 父:西園寺実遠 母:不詳 |
兄弟 | 西園寺公藤、公連 |
特記 事項 |
洞院家の再興時の当主。 |
洞院公連(とういん きんつら)は、室町から戦国時代にかけての公卿。西園寺実遠の次男。洞院公数後に断絶した洞院家を継承。官位は正三位・左近衛中将。
経歴
文明8年(1476年)、正二位・前権大納言洞院公数が出家し、洞院実雄以来の洞院家は断絶した。数年後、公連が洞院家の本家・西園寺家の当主西園寺実遠の次男として、断絶した洞院家を継承。延徳2年(1490年)に左近衛中将の官職で従三位に叙され公卿となった。明応4年には正三位に昇叙するも、その後は官職・位階ともに停滞。文亀元年(1501年)4月に出家し、洞院家は再び断絶した。甘露寺親長編修の『洞院系図』は「左府西園寺申請相續之儀、續一流云々、有名無實歟」と評し、実遠の申請による公連の継承を、正三位・左中将止まりの事績では「洞院家相続は形骸化していた」と分析している。
官歴
系譜
- 父:西園寺実遠
- 母:不詳
脚注
- ^ 公連の延徳2年以前の官歴が明らかでないため、ここでは仮に延徳2年から算定する。
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