ヒラキ (芸能)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/05 15:02 UTC 版)
演芸用語におけるヒラキ(または開き)とは、江戸期から明治20年代にかけて存在した、大道芸の仮設小屋のこと(現在の屋台に近い)。また、その興行形態を指す。寄席の前形態として、各演芸の歴史に現れてくる。
- ^ 『風俗画報』(141)p.21に「金竜山浅草餅」の紹介の見出しに「元祖葭簀張」など。
- ^ 風俗画報(141)p.21には「猶(浅草)六区二号四十五番地池の傍にハリ扇の講釈師、祭文語(青木とよ営業)一軒あり、入場料定めなし、縁台に寝そべって聴くも心任せ、折々扇子もて銭を掻きあつむるなり」とある
- ^ 明治4年に寄席の演目が制限された
- ^ 馬場文耕、高橋博『大衆芸能』教育史料出版会、1980年。p.62
- ^ 1873年(明治6年)には両国広小路の見世物小屋が禁止された 出典:海野弘『東京の盛り場』(2000)p.22
- ^ 明治23年に鉄道用地(後の秋葉原駅)となり閉鎖される
- ^ 横浜で『ジャパン・ヘラルド』の主筆を務めたブラック(快楽亭ブラックの父)が1872年(明治5年)に皇居近くの神田橋周辺で、むしろがけの小屋で不快な見世物を見たことをきっかけとして、同年11月8日に東京府が「違式詿違条例」を布達する。主に男女相撲の禁止、蛇遣いなど醜態を見世物にすることの禁止、夜12時以降の歌舞音曲禁止、路上における高声の歌の禁止など。また、翌6年2月よしず張りや床店の大きさを定めた。出典:倉田喜弘編『幕末明治見世物事典』p.4-5
- ^ 出典:兵藤裕巳『声の国民国家』講談社学術文庫p.76
- ^ 出典:三好貢『浪花節一代』
- ^ 内山p.29 「青天井の葦簀張り小屋掛けや」
- 1 ヒラキ (芸能)とは
- 2 ヒラキ (芸能)の概要
- 3 参考文献
- ヒラキ_(芸能)のページへのリンク