現実の思想・運動への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 05:58 UTC 版)
「佐倉惣五郎」の記事における「現実の思想・運動への影響」の解説
林基は、『東山桜荘子』における藩主・収奪派家老・善政派家老の台詞から、幕末期の民衆の社会意識・政治意識を見ることができると評している。 幕末から明治初年の一揆では、惣五郎の物語が組織化に使われるケースもあった。たとえば安政6年(1859年)に信濃国伊那谷の白河藩飛地領で起きた南山一揆の指導者小木曽猪兵衛は、佐倉惣五郎を講釈に仕立てて一揆を組織したと言われている。 社会運動家や思想家は、それぞれの立場から自らの主張の先駆者として「佐倉惣五郎」を称揚した。幕末期から明治時代の思想家である福澤諭吉もその一人で、『学問のすゝめ』において「古来唯一の忠臣義士」としてその名を挙げている。自由民権運動家たちは民権運動の先覚者の姿を見、昭和恐慌や戦後改革の際にも新たな解釈とともに想起されることとなった。石川半山は田中正造に「君はただ佐倉惣五郎たるのみ」と、明治天皇への直訴を促したと言われている。戦後、1950年代に入っても九十九里浜闘争で逮捕されたものが「9人の宗吾」と周囲の漁民から称されるなどしている。
※この「現実の思想・運動への影響」の解説は、「佐倉惣五郎」の解説の一部です。
「現実の思想・運動への影響」を含む「佐倉惣五郎」の記事については、「佐倉惣五郎」の概要を参照ください。
- 現実の思想・運動への影響のページへのリンク