先覚者
先覚者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:33 UTC 版)
辻井喜左衛門(1831-1899) 井上村(現・京丹後市丹後町井上)出身。36歳頃と推定される鳥羽・伏見の戦いの頃にすでに杜氏職にあり、村人に酒造技術を伝授し後進の育成に務めた。辻井が誰に師事し酒造りを習得したかは、丹後杜氏の発祥ともども不明である。伏見地方への丹後杜氏の先駆けであり、丹後杜氏の始祖とされている。明治大正時代の蔵人は総じて親類縁者であったため、親子2代、3代にわたる杜氏がざらにいた。辻井喜左衛門は親子3代にわたり杜氏を輩出し、そうした繋がりにより1921年(大正10年)頃には、井上集落はわずか15戸の小村でありながら12人の杜氏を輩出した。 岡野甚蔵(1836-1876) 上野村(現・京丹後市丹後町上野)出身。南山城地方への開拓の祖とされる。下宇川地域からの酒造出稼ぎの道を拓き、数多くの杜氏を育てた。 細田和吉(1837-1888) 袖志村(現・京丹後市丹後町袖志)出身。大和地方への開拓の祖で、酒造技術にとくに秀でていた。大和の酒蔵は蔵と蔵が離れていたので、後輩杜氏の蔵を見回って指導するためには長い距離を移動する必要があったとはいえ、出稼ぎ労働者は乗り物を使えないのが通例であった時代に、つねに籠に乗って往来するほど大和で杜氏として高い名声を博した。 小倉庄助(1839-1921) 鞍内村(現・京丹後市丹後町鞍内)出身。大和地方で杜氏を務めつつ、とくに後進の育成に尽力した。鞍内集落から大和地方へは多くの者が出稼ぎに出た。 岩崎熊治郎(1915-1995) キンシ正宗に従事した杜氏で、長く伏見杜氏組合長として活躍し、1983年(昭和58年)に「卓越技能賞」の労働大臣表彰を受けた。キンシ正宗では、岩崎の後も丹後杜氏が引き継ぎ、全国新酒鑑評会で金賞受賞するなど活躍している。1970年代には丹後杜氏組合の副組合長も務めた。
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