労働大臣
労働大臣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:05 UTC 版)
村上は1992年(平成4年)の暮れ、宮澤改造内閣で労働大臣として初入閣する。この時、閣僚の参議院枠は二つあり、井上孝と村上が入閣候補に挙がっていた。村上は派閥の長であった中曽根康弘に防衛庁長官を希望した(村上は中曽根内閣で防衛政務次官を務めた)。 しかし参議院議員会長だった斎藤十朗から労働大臣という話を聞き、村上は一旦断る。中曽根も村上に労働大臣を勧め、総理大臣宮沢喜一が「生活大国」の一環として労働時間の短縮を目指しており、村上の国対経験を生かして欲しいと説得される。宮沢、斎藤十朗からも説得され、労働大臣を受け入れる。この時、内閣官房長官だった河野洋平は、 「村上先生、先生が防衛庁長官になったら、総理はおちおち外遊できないと言ってるんです。あなたは総理が留守の間にクーデターをやりかねないって」と冗談を言った 。 しかし、「国対のプロ」を自任する村上は、党内の反対派を説得し、「タカ派の村上がここまでするか」と協力を引き出した。
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