辻井喜左衛門(1831-1899)
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「丹後杜氏」の記事における「辻井喜左衛門(1831-1899)」の解説
井上村(現・京丹後市丹後町井上)出身。36歳頃と推定される鳥羽・伏見の戦いの頃にすでに杜氏職にあり、村人に酒造技術を伝授し後進の育成に務めた。辻井が誰に師事し酒造りを習得したかは、丹後杜氏の発祥ともども不明である。伏見地方への丹後杜氏の先駆けであり、丹後杜氏の始祖とされている。明治大正時代の蔵人は総じて親類縁者であったため、親子2代、3代にわたる杜氏がざらにいた。辻井喜左衛門は親子3代にわたり杜氏を輩出し、そうした繋がりにより1921年(大正10年)頃には、井上集落はわずか15戸の小村でありながら12人の杜氏を輩出した。
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