北面武士
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/25 16:53 UTC 版)
北面武士(ほくめんのぶし、北面の武士)とは、院御所の北面(北側の部屋)の下に近衛として詰め、上皇の身辺を警衛、あるいは御幸に供奉した武士のこと。11世紀末に白河法皇が創設した。院の直属軍として、主に寺社の強訴を防ぐために動員された。
- ^ 『為房卿記』康和5年(1103年)8月17日条に「北面伺候五位六位十人許」とあるのが、北面の初見である。
- ^ 天永4年(1113年)に白河院武者所・宗友が盗賊追捕の賞により左兵衛尉に任じられたが、宗友は平忠盛の郎等と記されている(『長秋記』3月14日条)。
- ^ 為義については摂関家の家人であり北面ではないとする見解が一般的であるが、『愚管抄』に「キタオモテ(北面)」と明記され、院主催の流鏑馬行事や強訴防御にも登場することから、北面に在籍していたとする説もある(横澤大典「白河・鳥羽院政期における京都の軍事警察制度-院権力と軍事動員-」『古代文化』527、2002年(平成14年))。
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 北面武士 コトバンク
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