南部為重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/15 01:04 UTC 版)
南部 為重(なんぶ ためしげ)は、南北朝時代の武将。南部氏初期の系譜は異同が激しいため、系譜位置については一定しない。
- ^ 1340年(興国)元年、[北畠顕信]が奥州に向かおうとした時、足利勢の石塔義房の兵に阻まれ白河に止まる。この時政行は幼年だった為、叔父の仲行は、弟の茂行、信行等と協力して顕信を援ける。(南部史要より)
- ^ 鹿角市年表 によれば、興国2年・暦応4年(1341年)12月に鹿角合戦に忠節をつくしたとして、南部信政が書を賜ったとしている。
- ^ <参考太平記>第2巻229-232P
- ^ <参考太平記>第2巻276Pによる。
- ^ 後醍醐帝らは法勝寺に近づくと、待ち構えていた左馬頭直義らに捕縛され、帝は花山院に幽閉された。警護の武士は囚人のように捕らえられ大名家に送られた(<参考太平記>第2巻278-9P)。
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