南部信光
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南部 信光(なんぶ のぶみつ)は、南北朝時代の武将。根城南部氏7代当主。
- ^ 近世こもんじょ館「南部を名乗る諸家 10 家臣諸家 1八戸家 1南北朝期 南朝の忠臣の系譜」には、「1335年(建武2年)12月12日顕家奉勅上洛す、国中以未静謐師行 従す、其孫三郎信光をして上洛に従ハシム」とある。
- ^ 小井田幸哉『八戸根城と南部家文書』では北畠顕信が南部薩摩守宛てに与えた御教書について、同地は信光宛てに分封したとしている。しかし顕信が南部薩摩守宛てに与えた御教書について『南部史談会誌』や、『南部史要』第12世政行公事績(注)南部四世事跡考に於いては、正平15年に同地を南部信行をして安堵したとある。
- ^ 『国史大辞典』
- ^ 奥富敬之 著「南部信光」、安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1985年。
- ^ 星川正甫原編 編『南部藩参考諸家系図』前沢隆重他編、国書刊行会。
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