南部利用_(吉次郎)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 南部利用_(吉次郎)の意味・解説 

南部利用 (吉次郎)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/24 15:28 UTC 版)

 
南部利用
時代 江戸時代後期
生誕 文化4年12月19日1808年1月16日
死没 文政4年8月21日1821年9月17日
改名 駒五郎、吉次郎(幼名)、利用
諡号 常孝院
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
陸奥盛岡藩
氏族 南部氏
父母 父:南部信丞、母:年子(南部利正の娘)
養父:南部利敬
特記
事項
御目見前に夭折したので新屋敷南部家当主南部信浄の三男・善太郎が身代わりに立てられたが、公式上は同一人物扱いである。
テンプレートを表示

南部 利用(なんぶ としもち)は、江戸時代後期の陸奥国盛岡藩の第11代藩主。ただし、公式には同一人物とされたが、この名を名乗った人物は2人いた。本記事ではその1人目の人物について記述する。幼名は駒五郎、のち吉次郎で、いわば本物の南部利用である。

生涯

文化4年12月19日(1808年1月16日)、中屋敷南部家当主・南部信丞の長男として誕生した。信丞は第7代藩主・南部利視の孫で第10代藩主・南部利敬の従兄弟にあたる。母は南部利正の娘、年子。

文化年中に南部利敬の養子となり、加賀藩主・前田斉広の娘と婚約した。文政3年(1820年)に利敬が死去したため家督を継いだ。年少のため、又従兄である支藩七戸藩主・南部信鄰が補佐として盛岡に下向して藩政に参画する。

しかし文政4年(1821年)5月、庭の樹木で遊んでいる最中に転落し、そのときの怪我が原因で8月21日に死去した。享年15。

利用が11代将軍徳川家斉御目見せずに死去してしまったため、盛岡藩の改易減封を恐れた家臣団は、利用の従兄で比較的年齢も近く、風貌もよく似ていた新屋敷南部家当主・南部信浄の三男・善太郎を利用であるとして身代わりに立てた。

なお、文政4年(1821年)4月、盛岡藩の浪人である相馬大作による相馬大作事件が発生している。

参考文献

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「南部利用_(吉次郎)」の関連用語

南部利用_(吉次郎)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



南部利用_(吉次郎)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの南部利用 (吉次郎) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS