南部信恩とは? わかりやすく解説

南部信恩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/11 07:28 UTC 版)

 
南部 信恩
南部 信恩
時代 江戸時代中期
生誕 延宝6年9月22日1678年11月6日
死没 宝永4年12月8日1707年12月31日
改名 久信、信恩
官位 従五位下備後守
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉
陸奥盛岡藩
氏族 南部氏
父母 南部行信:岩井与市郎の娘・慈恩院
兄弟 実信信恩利幹青山幸督正室、牧野英成正室、南部直政正室、艶姫、南部幕子
正室毛利綱元の娘・真寿院
側室:黒沢氏の娘・浄智院
利視永井直期正室ら
養子利幹
テンプレートを表示

南部 信恩(なんぶ のぶおき)は、江戸時代中期の大名陸奥国盛岡藩の第5代藩主官位従五位下備後守

経歴

延宝6年(1678年)9月22日、第4代藩主・南部行信の3男として江戸麻生屋敷にて誕生した。元禄14年(1701年)5月1日、行信の嫡子になった。前年に兄・実信が亡くなったためである。同年5月15日、5代将軍徳川綱吉御目見する。同年7月25日、毛利綱元の娘と結婚する。同年12月18日、従五位下・備後守に叙任する。元禄15年(1702年)11月27日、行信が死去したため家督を継ぐ。

元禄16年(1703年)4月15日、初めてお国入りするための暇を得る。同年、儒教に傾斜した父により重用され、藩主廃立にまで介入する儒臣を先代の遺命として断罪し、儒学傾斜策の弊害を改める。しかし、同年内に領内に凶作、江戸で元禄地震が起こる。大地震により江戸藩邸が全て全壊し、藩財政に打撃が与えられた。

信恩は宝永4年(1707年)12月8日に30歳で死去した。異母弟の利幹が養子となり家督相続した。信恩死後に実子の利視が生まれ、利幹の養嗣子となった。

系譜






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「南部信恩」の関連用語

南部信恩のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



南部信恩のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの南部信恩 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS