歴史・伝承など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 09:28 UTC 版)
南昌山は古くから天候を司る霊峰として地元の信仰を集め、この地方では「南昌山が曇れば雨が降る」と言い伝えられている。麓にある南昌山神社は、元は山頂にあり水源守護の青竜権現を祀ったお宮であった。この神社は、延暦年代に志波城を築く際、天候不順で工事が難航したために征夷大将軍・坂上田村麻呂が南昌山の頂上に祈願したところ、雨がやんだことからお宮を造営したのが始まりと伝えられ、嘉永2年に山麓に移されて現在に至る。山頂には現在でも、天候の安定を祈願して奉納された石柱があるほか、雨乞いの儀式に使用される全国でも類を見ない6体の獅子頭石仏が奉納され、南昌の権現様として親しまれている。岩手の語源になった鬼の伝説では、石神の「三ツ石様」に退治された鬼は南昌山へ逃げ去ったという伝説がある。 前九年の役において、安倍貞任が衣川から源義家に追われて南昌山の麓までたどり着き奮戦したが、安倍側に多大な犠牲が出て、安倍側の名のある武将たちが亡くなったと云われる。 南昌山の山中には白竜が棲んでいて、暴れると雲が峰を覆い、毒気で人々を苦しませたという伝説があった。元禄16年(1703年)に天候不順が続き、空念という僧が竜を鎮めるために頂上に青竜権現の祠を建て、それまで毒ヶ森と呼ばれていた本山を、空念の推挙によって南部藩主南部信恩が南部繁昌を願って南昌山と改名したとされる。山中にある幣懸(ヌサカケ)の滝は昔マタギが猟の安全を願って、幣と呼ばれる札を納めたことから名づけられている。 江戸時代の画家谷文晁によって『名山図譜』のひとつとして選ばれた他、松本竣介も1934年(昭和9年)に水彩画『南昌山』を描いている。
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