捨てきれない南部信政と南部為重の同一人物性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/08 13:51 UTC 版)
「南部信政」の記事における「捨てきれない南部信政と南部為重の同一人物性」の解説
『寛政重修諸家譜』などの系譜類では、三戸南部氏系の南部為重の事蹟として、興国6年(1345年)3月26日に北畠顕信から顕彰された鹿角での戦功が記載されている。一方、根城南部氏を研究した『八戸根城と南部家文書』(小井田幸哉、1989年)は、古文書原文に「南部左近将監」とあるので、先の戦功は信政のものとし、顕彰された左近将監は三戸南部氏にはいないと主張しているが、山梨県南部町の諏訪明神社所蔵の甲斐南部氏系図には、南部義重の後に、南部為重(甲斐守)の名が見える。 南部政長の子とされながらも八戸の家督を相続できなかった信政は、信光や政光の父、且つ師行の養子ともされ、前述されている事績や官名が南部為重(仲行)と重複しているが、別人の可能性も捨て切れていない。
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