浅井惟安とは? わかりやすく解説

浅井惟安(あざい これやす?) ????~1573

福寿
 近江浅井氏一族当主久政の近習務め、久政隠居後もこれに従う。小谷城落城時は、京極丸を守って久政自害の時まで付き従い介錯務めた自害

浅井惟安

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 02:04 UTC 版)

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浅井惟安
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正元年8月27日1573年9月23日
別名 福寿庵(庵号)
主君 浅井久政長政
氏族 浅井氏
父母 浅井清政
兄弟 碧潤、惟安、貞政、田屋明政秀信
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浅井 惟安(あざい これやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将浅井氏の家臣。

来歴

浅井清政の子として誕生。浅井久政の近侍を務める。

永禄3年(1560年)に久政が隠居した後もこれに従った。小谷城の福寿丸に居を構えその名が庵号となった。

天正元年(1573年)、小谷城の戦いでは京極丸を守備する。小丸に移動してからは久政の介錯を務めた後、自害した。子孫は美濃国に落ち延びたと伝わる。




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