京極マリア
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京極 マリア(きょうごく マリア、天文11年(1542年)頃 - 元和4年7月1日(1618年8月20日))は、戦国時代の女性。名は不明。浅井久政の次女。京極高吉の妻。浅井長政の姉。
- ^ 「説教を聴いた者の中に、かつて近江国の国主であった貴人がいたからである。彼は領国を失ったとはいえ、信長の庇護の下にあって今や偉大な殿であり、当城下にあるもっとも立派な邸宅の一つを所有していた。京極(高吉)殿と称するこの貴人は夫人と共に説教をことを決心したが、デウスのことをたいそう好むので四十日間続けて説教に耳を傾けてこれをよく悟り、四十日の終りには二人とも洗礼を受けた。この貴人たちには十一、二歳の幼い子息が一人あって、この頃、他所で信長に仕えていた。父親は彼が帰った時に家族全員と共に洗礼を受けさせることに決めていたが、それより数日後、我らの主が父親を御許に召し給うたので、その望みは叶えられなかった。彼の死によってその子息ならびに家人は皆、依然として異教徒のままであり、父の死は神と仏の罰によるものと考えて非常に畏れた。しかしながら、母は迷うことなく耐え忍び、いっさいをデウスに委ねており、彼らの家では彼女唯一人がこのように身を処している。」(1581年度日本年報)
- ^ a b c 結城了悟、1999年、287頁
- ^ a b 清水有子、2017年、317頁
- ^ 京極マリアが街おこしに一役 石像・萌えイラストでPR Archived 2012年6月19日, at the Wayback Machine. asahi.com2010年12月2日
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