小寺政職
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小寺 政職(こでら まさもと)は、戦国時代の武将。小寺氏の当主。小寺則職の子。黒田官兵衛の母お岩および妻光は、ともに政職の養女。
注釈
出典
- ^ 『播磨御着郡誌』所蔵の略系図より。
- ^ a b 『播磨御着郡誌』による。『黒田家譜』では天正10年(1582年)没とする。
- ^ 『播磨御着郡誌』所蔵「小寺貞政公系図」。
- ^ a b 『播磨御着郡誌』によるが、同著では彼女を母とする記述も見られる。
- ^ 『黒田家譜』では天正4年(1576年)の事とされている。
- ^ 金子堅太郎『黒田如水伝』博文館、1916年。
- ^ “御着城主、小寺政職終焉の地か 子孫ら墓跡参る 太子”. 神戸新聞. 2015年5月3日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年4月30日閲覧。
- ^ 諏訪 2013, p. 15.
- ^ a b c 小寺政職没落後、黒田に改姓。ただし、高友に関しては、兄・職隆が「小寺」の姓を賜ったのに伴う改姓かどうか確証はない。また、死の前年に当たる文禄2年1月15日の『宗湛日記』に「小寺休夢」と名前が出ており、黒田姓に戻したとする史実も確認されていない。
- 1 小寺政職とは
- 2 小寺政職の概要
- 3 偏諱を与えた人物
- 4 参考文献
小寺政職(こでら まさもと)
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小寺政職(こでら まさもと)
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「センゴク」の記事における「小寺政職(こでら まさもと)」の解説
通称は藤兵衛。播磨の豪族で小寺孝高の主筋にあたる。織田家に与するものの同時に織田家に対する不審を抱いている。
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