黒田職隆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/05 00:42 UTC 版)
黒田 職隆(くろだ もとたか)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。子に黒田孝高[6]などがいる。号は宗円。
注釈
出典
- ^ a b c d 『新訂 寛政重修諸家譜 第七』 1965, p. 201.
- ^ 『播磨鑑』によれば、小寺則職が父であるとし、通説とは異なる。また、『播磨御着郡誌』では則職の父・小寺政隆の養子になったとしている。
- ^ 『播磨御着郡誌』によると小寺政隆の養女とする。
- ^ a b c 母里氏の婿養子として家督を継いでいた母里小兵衛の未亡人。
- ^ a b c 『備前軍記』によると黒田孝高の娘とされているが、年齢的に合わず、孝高ではなく政職の子ではないかという説がある[要出典]。なお黒田氏の系図類ではその名は一切見られず、養女と見る向きもある[要出典]。
- ^ 「荘厳寺本黒田家略系図」によると実際は養父にあたるという。ただし同系図の信憑性については他史料との乖離が大きいため、否定する意見もある。
- ^ a b c 諏訪 2013, p. 15.
- ^ 『黒田家譜』『備前軍記』
- ^ a b 諏訪 2013, p. 16.
- ^ 『週刊 日本の城14号』(デアゴスティーニ)
- ^ a b c d e f 三谷 2014, p. 15.
- ^ 『黒田家文書』
- ^ a b “黒田職隆廟所”. 姫路市. 2022年3月13日閲覧。
- ^ “No.382 黒田家のご先祖さがし”. 福岡市博物館. 2022年3月14日閲覧。
- ^ “光雲神社公式ホームページ”. 光雲神社. 2022年4月6日閲覧。
- ^ a b c 諏訪 2013, p. 25.
- ^ 橋本政次『姫路城史』より。
[続きの解説]
固有名詞の分類
- 黒田職隆のページへのリンク