浦上清宗とは? わかりやすく解説

浦上清宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/24 15:20 UTC 版)

 
浦上 清宗
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 永禄7年1月11日1564年2月23日
氏族 浦上氏
父母 父:浦上政宗
兄弟 忠宗、清宗誠宗
黒田職隆[1]
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浦上 清宗(うらがみ きよむね)は、戦国時代武将

生涯

浦上政宗の次男として誕生。

永禄7年(1564年)1月11日、黒田職隆の娘を室に迎える婚礼当日、あるいは婚礼当日の夜に、置塩城主・赤松晴政(『備前軍記』による)[2]の攻撃をうけ、室山城にて父・政宗と共に討死した。妻は城主を継いだ弟・誠宗に再嫁している。

ただし、没年を弘治2年(1556年)とする説もある。

脚注

  1. ^ 小寺孝高の娘ともされるが、当時孝高はまだ若年で結婚適齢期の娘がいたとは考えられず、孝高の父・職隆の娘あるいは養女と見る向きが強い。
  2. ^ 播磨鑑』によると、室山城を攻めたのは晴政ではなく、龍野城主の赤松政秀であったという。しかし、当時の室山城主を浦上村宗とするなど誤謬もある。

出典

  • 橋本政次『姫路城史』

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