黒田高政_(戦国時代)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 黒田高政_(戦国時代)の意味・解説 

黒田高政 (戦国時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/26 14:23 UTC 版)

黒田 高政(くろだ たかまさ、生年不詳 - 大永3年(1523年)?)は、戦国時代の武将。子に重隆がいる。

永正8年(1511年)の船岡山合戦に六角方として参戦したが、六角高頼の命に背いて抜け駆けしたことから将軍足利義稙の怒りを買って追放され、親族を頼って備前国邑久郡福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)に流れてきたとされる。

ただし、高政は内容に疑問のある『江源武鑑』やそれを元にした貝原益軒編纂の『黒田家譜』などには記述があるが、信頼性の高い史料には登場しておらず、『寛永諸家系図伝』では高宗と重隆の間を「此間中絶」としていたり、『寛政重修諸家譜』では高宗と重隆の間の代数に疑問があるとしていることから、高政は架空の人物であるとの説もある[1]

子孫は播磨赤松氏小寺氏の重臣、姫路城代を務め、後世に福岡藩祖、黒田孝高安土桃山時代豊臣氏江戸時代徳川氏に仕えた。

墓所は岡山県瀬戸内市長船町の妙興寺。

脚注

  1. ^ 諏訪勝則『黒田官兵衛』(中央公論新社、2013年) 4-11頁



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「黒田高政_(戦国時代)」の関連用語

黒田高政_(戦国時代)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



黒田高政_(戦国時代)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの黒田高政 (戦国時代) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS