黒田治之とは? わかりやすく解説

黒田治之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/26 16:07 UTC 版)

 
黒田 治之
黒田治之像(福岡市博物館蔵)
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦2年12月1日1753年1月4日
死没 天明元年8月21日1781年10月8日
改名 隼之助、高満、治之
戒名 典山紹靖鳳陽院
墓所 崇福寺福岡県福岡市
官位 従四位下侍従式部大輔筑前守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治
筑前国福岡藩藩主
氏族 一橋徳川家黒田氏
父母 父:徳川宗尹、母:由加
養父:黒田継高
兄弟 松平重昌、仙之助、松平重富徳川治済治之、鎌三郎、金次郎
正室:亀姫(瑶津院、榊原政永の娘)
側室:鈴木氏
隼三郎
養子:治高女子(継高娘)[1]
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黒田 治之(くろだ はるゆき)は、筑前国福岡藩の第7代藩主[2]。第8代将軍・徳川吉宗の孫であり、第11代将軍・徳川家斉や、福岡藩第9代藩主・黒田斉隆の叔父にあたる。

生涯

宝暦2年(1753年)12月1日、御三卿一橋徳川家の初代当主・徳川宗尹の五男[3][4]として、江戸城内の一橋邸にて生まれた[5][2]。母は細田時義の娘由加[4]幼名は隼之助[4][2]

宝暦13年(1763年)11月23日、11歳のとき、福岡藩主・黒田継高の養嗣子となり[5][4]高満を名乗る[2]。同日、松平を称する[4]明和元年(1764年)2月16日、桜田の藩邸に移った[5][2]

明和2年(1765年)12月15日、従兄で10代将軍の徳川家治御目見した[2][4]。同3年(1766年)7月18日、元服し、家治の偏諱を受けて治之に改名、従四位下侍従式部大輔に叙任する[4][5][2]

明和6年(1769年)12月10日、継高の隠居により家督を相続、同年12月13日、筑前守となる[4][5][2]

明和7年(1770年)4月、初めて福岡に入った[5][2]。明和8年(1771年)2月から4月にかけて国内を巡見した[5]。また、亀井南冥を抜擢した。

明和8年(1771年)8月9日、許婚者だったお屋世(黒田重政の娘)が11歳で世を去った[6][4][7]。これにより黒田本家において、藩祖・黒田孝高、初代・黒田長政以来の血筋は途絶えることとなった。

安永元年(1772年)12月20日、側室・鈴木氏との間に男子が誕生し、養父・継高により隼三郎と名付けられた[8][4]

安永3年(1774年)、越後国高田城城主・榊原政永の娘・おかめ(亀姫、瑶津院)と婚約した(黒田長政の二女が榊原忠次に嫁いでいた縁による)[9][4][7]

安永6年(1777年)9月25日、子・隼三郎が6歳で死去した[10]

天明元年(1781年)8月21日、死去した[2]。30歳[4][2][7]。典山紹靖鳳陽院[4]崇福寺に葬られた[11]

幕府へは、同年秋に病にかかり、京極高文の弟・高幸(黒田治高)を養子とし、同年11月21日(『寛政重修諸家譜』では11月20日[4])に死去したと届け出た[2]

天明4年(1784年)、治之の遺言により学問所が設置されている。

許嫁・お屋世

明和8年(1771年)8月9日、11歳のとき死去[6]。同月17日、祥雲寺に葬られ、眞如院月峯妙輝と追号された[6]。また、遺髪は高野山正智院と崇福寺におさめられた[6]

子・隼三郎

安永6年(1777年)9月25日、6歳で死去した[10]。同月27日、遺体は崇福寺に送られた[10]。眞常院玉峯宗琇と追号された[10]。遺髪は高野山にもおさめられた[12]

系譜

脚注

  1. ^ 寛政譜 1923, pp. 213–214.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 直方市史編さん委員会 1971, p. 401.
  3. ^ 工藤 2009, p. 343.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 寛政譜 1923, p. 213.
  5. ^ a b c d e f g 藩主人名事典編纂委員会 1986, p. 294.
  6. ^ a b c d 川添 1983, p. 23.
  7. ^ a b c No.500 市美×市博 黒田資料名品展Ⅳ 藩主夫人が愛した文物”. 福岡市博物館. 2023年11月6日閲覧。
  8. ^ 川添 1983, p. 38.
  9. ^ 川添 1983, p. 54.
  10. ^ a b c d 川添 1983, p. 80.
  11. ^ 寛政譜 1923, p. 204,208,213.
  12. ^ 川添 1983, p. 81.

参考文献





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