京極高慶_(多度津藩主)とは? わかりやすく解説

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京極高慶 (多度津藩主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/14 04:08 UTC 版)

 
京極 高慶
時代 江戸時代中期
生誕 享保5年(1720年5月[1]
または享保3年(1718年[2]
死没 宝暦6年2月26日1756年3月26日
改名 内膳(幼名)、高慶
別名 千吉
戒名 泰岳院殿前羽州大守安禅道寧大居士
墓所 香川県丸亀市中府の玄要寺
官位 従五位下出羽
幕府 江戸幕府
讃岐多度津藩
氏族 京極氏
父母 父:京極高通、母:山崎義方の娘
兄弟 高慶、高伴
正室:黒田直純の娘
高明(3男)、軽三郎、高文黒田治高、富姫(伊達村賢正室のち藤堂良峯正室)
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京極 高慶(きょうごく たかよし)は、讃岐多度津藩の第2代藩主。多度津藩京極家2代。

略歴

享保5年(1720年)、初代藩主・京極高通の長男として生まれる。享保20年(1735年)9月24日、父の隠居家督を継ぐ。寛保2年(1742年)に駿府加番に任じられる。飢饉が続いた上、役人の不正もあって寛保3年(1743年)1月には百姓一揆が起こった。宝暦6年(1756年)2月26日、丸亀で死去した。享年37(または39)。跡を六男・高文が継いだ。

脚注

  1. ^ 『香川県史 第3巻 (通史編 近世 1)』香川県、1989年、p.66。
  2. ^ 京極高慶」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社https://kotobank.jp/word/%E4%BA%AC%E6%A5%B5%E9%AB%98%E6%85%B6コトバンクより2025年5月14日閲覧 



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