京極高備_(子爵)とは? わかりやすく解説

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京極高備 (子爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/23 04:51 UTC 版)

京極高備

京極 高備(きょうごく たかよし、1873年明治6年)7月30日[1] - 1933年昭和8年)10月25日[1][2])は、明治から大正期の実業家政治家華族貴族院子爵議員。旧名・於菟吉[1]

経歴

讃岐多度津藩主・京極高典の二男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1906年(明治39年)1月27日、子爵を襲爵した[1][3][4]

1898年(明治31年)学習院高等科を卒業し、さらに同大学部を修了した[2][3]1897年(明治30年)陸軍騎兵少尉に任官し、騎兵中尉に進んだ[2][3]。退役後に司法属となる[2]

1910年(明治43年)10月29日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[5][6]研究会に所属して活動し[2]1925年(大正14年)7月9日まで3期在任した[2]

栄典

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 上巻』517-518頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』42頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第9版』キ82頁。
  4. ^ 『官報』第6772号、明治39年1月29日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、18頁。
  6. ^ 『官報』第8209号、明治43年10月31日。
  7. ^ 『官報』第7653号「叙任及辞令」1908年12月28日。
  8. ^ 『官報』第1024号「叙任及辞令」1915年12月29日。

参考文献

  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
京極高典
子爵
多度津京極家第2代
1906年 - 1933年
次代
京極高量



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