鎮房の亡霊と祟り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 22:18 UTC 版)
鎮房の死後、中津城に鎮房の亡霊が出没し、長政はその亡霊に恐れおののいた。孝高は戦国の世とはいえ、勇将であった鎮房を謀略で殺害したことを悔い、中津城内に城井神社を創建し、その霊を祀っている。後に黒田氏の居城となった福岡城にも創建されている。 孝高の来孫で長政の玄孫にあたる筑前福岡藩の第6代藩主・黒田継高は、晩年に長男・黒田重政、三男・黒田長経という2人の次期当主となりうる男子を相次いで亡くし、更に重政の1男2女(男子某、女子、屋世姫)も夭折し、孝高、長政以来の黒田本家の血統は男系女系とも断絶した。また、その後も福岡藩の藩主は、第7代・黒田治之、第8代・黒田治高、第9代・黒田斉隆が後嗣を定めぬまま急死。第10代・黒田斉清は2人の男子が夭折し晩年には失明、第11代・黒田長溥は3人の男子が夭折と、後継者問題に見舞われ続けた。黒田騒動や廃藩置県直前の黒田長知の知藩事罷免、さらには城井一族謀殺に協力した加藤家改易も含めて報いもしくは祟りだと噂された。 城井谷では、鎮房を慕う住民が命日に城跡に集って野ばらを地に刺して、黒田家を呪い続けたという伝承がある。中津出身の福澤諭吉から聞いたとして、福本日南が著書『黒田如水』で紹介している。
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