鎮海の桜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 03:34 UTC 版)
日本海軍は鎮海の都市建設に際して、景観や土地保全のために梅や桃・松など各種の樹木を大規模に植えた。桜もそのひとつである。桜は海軍のシンボルとしてその後も植樹が進められ、1920年代半ばまでに鎮海は桜の名所として知られるようになった。1926年の鎮海線開通後は花見の季節に臨時列車が運行された。 日本の敗戦後(朝鮮の解放後)、桜は日本の国花であるとして、大半が伐採された。しかし1962年、桜(ソメイヨシノ)の原産地が韓国(済州島)だとする説が紹介され、「桜は日本から入ってきた樹木ではなく、元来わが国の土壌で自生したもの」 とするイメージが広められたこと、1974年4月の朴正煕大統領命令によって桜の大植樹運動が展開されたことで、現在の鎮海の桜が復活した。
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