鎮海軍港の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 03:34 UTC 版)
「鎮海区 (昌原市)」の記事における「鎮海軍港の建設」の解説
1904年2月、日露戦争開戦に際して日本海軍は鎮海湾一帯を掌握、巨済島で海軍根拠地の建設が行われた。鎮海湾は日本海海戦に際して連合艦隊の集結地となった。 日露戦争後、鎮海湾に軍港を建設する計画が進められた際、現在の鎮海軍港の場所が選定された。1910年から鎮海軍港と都市の建設が開始された。この地域は行政的には1908年以降昌原府の管轄下となっていたが、1911年に軍港一帯は馬山府に属する「鎮海面」として編成され、1914年に昌原郡鎮海面となった。当初は鎮守府を設置する計画で軍港と市街地の建設が進められ、1916年に鎮海要港部が設置された。以後、鎮海は日本海軍の軍港都市として発展し、1931年には鎮海邑に昇格した。 市の中心部にあるロータリーをはじめ、随所に往時の日本の都市計画の姿を見ることができる。また、地名には末尾が「町」となる、日本式の地名が付与された。
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