黒田家と京極家の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/12 08:15 UTC 版)
先代・黒田治之の子女は早世して残っていなかったため、黒田家と同じく宇多源氏佐々木流を称する同族京極家から養子を迎えたという。黒田家では治高を、3代光之の娘・筑姫(酒井忠挙の正室)の子孫として養子に貰い受けたというが、京極家の記録では実際には血筋はつながっていない。丸亀藩主京極高豊の継室の市子は筑姫の娘で、嫡男の京極高或をもうけたが、多度津家初代で治高の実祖父の京極高通は高豊が側室との間にもうけた庶子である。なお、治高の実父京極高慶の正室は久留里藩主黒田直純の娘であるが、こちらの黒田家は福岡藩黒田家とは別系統であり、かつ治高は正室の子ではない。 表 話 編 歴 福岡藩8代藩主 (1782年)藩主黒田長政1600-1623 黒田忠之1623-1654 黒田光之1654-1688 黒田綱政1688-1711 黒田宣政1711-1719 黒田継高1719-1769 黒田治之1769-1781 黒田治高1782 黒田斉隆1782-1795 黒田斉清1795-1834 黒田斉溥1834-1869 黒田慶賛1869-1871 藩知事黒田長知1869-1871 有栖川宮熾仁親王1871 廃藩置県
※この「黒田家と京極家の関係」の解説は、「黒田治高」の解説の一部です。
「黒田家と京極家の関係」を含む「黒田治高」の記事については、「黒田治高」の概要を参照ください。
- 黒田家と京極家の関係のページへのリンク