京極家とは? わかりやすく解説

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きょうごく〔キヤウゴク〕【京極】

読み方:きょうごく

[一]姓氏の一。

[二]室町時代守護大名佐々木信綱の四男氏信が京都の京極に邸を構えたのに始まる。四職(ししき)家の一。

[補説] 「京極」姓の人物
京極高次(きょうごくたかつぐ)
京極為兼(きょうごくためかね)
京極夏彦(きょうごくなつひこ)


京極家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/10/16 00:56 UTC 版)

京極家(きょうごくけ)


京極家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/11/03 03:28 UTC 版)

葵徳川三代」の記事における「京極家」の解説

京極高次きょうごく たかつぐ) 演:小野寺昭 大津城主。会津下向する家康大津でもてなす。三成挙兵した際は佐和山伏見大津が近いことから真っ先攻められることを懸念した家康から当初三成昵懇なことを利用して三成味方するよう告げられるその後大津城西軍反旗を翻し籠城する常高院じょうこういん) (お初常高院) 演:波乃久里子少女期向井優花) 京極高次正室淀殿の妹、お江の姉。会津下向する家康大津でもてなす。大津城籠城戦では夫と行動共にする夫の死後剃髪し常高院となり、淀殿の傍で豊臣家徳川家の間の橋渡しを行うよう努める。大坂冬の陣でも講和交渉勤め夏の陣の際には千姫大坂城から連れ出し、秀頼と淀殿助命嘆願を行うも、結果として彼らを助けることはかなわなかった。その後江戸移り秀忠お江何度顔を合わせる明正天皇即位反発し朝廷との対立深める秀忠に、和子立場考えるよう諫言したこともあった。 松の丸まつ の まる) 演:河原崎有稀 京極高次の姉。名は竜子豊臣秀吉側室であるが秀吉死後、京極家へ戻っている。会津下向する家康大津でもてなす。大津城籠城戦では高次行動共にする京極忠高きょうごく ただたか) (京極熊若 → 京極忠高) 演:辻輝猛少年期碓氷諒爲) 高次の子三成挙兵時には三成の手により人質となる。 京極高知きょうごく たかとも) 演:大橋吾郎 高次の弟。会津下向する家康を兄高次居城大津城でもてなす。会津関ヶ原家康従軍する

※この「京極家」の解説は、「葵徳川三代」の解説の一部です。
「京極家」を含む「葵徳川三代」の記事については、「葵徳川三代」の概要を参照ください。

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