常高院とは? わかりやすく解説

常高院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/07 05:47 UTC 版)

常高院(じょうこういん、永禄13年(1570年)- 寛永10年8月27日1633年9月30日))は、戦国時代から江戸時代前期の人物。若狭小浜藩の藩主京極高次の正室。本名は浅井 初(あざい はつ)で、一般に「初」の呼び名で知られる。また、幼名は御鐺(おなべ)、於那浅井三姉妹の一人。


注釈

  1. ^ 市の連れ子(異父姉)という説がある。
  2. ^ 東浅井郡伊部村、のちの小谷村伊部、現・滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷山(伊部山)麓。
  3. ^ 京極氏は室町時代に数ヶ国の守護を兼ね、四職(室町幕府の侍所長官を交代で務める家柄)に列した名門の大名家であり、北近江の国人の一つであった浅井氏の直接の主筋にもあたる。

出典

  1. ^ 宮本 2010, pp. 66–74.
  2. ^ 宮本 2010, pp. 74–75.
  3. ^ 宮本 2010, pp. 112–115.
  4. ^ 西島太郎『松江藩の基礎的研究 : 城下町の形成と京極氏・松平氏』岩田書院、2015年。ISBN 978-4-87294-919-3 
  5. ^ 西島太郎「京極忠高の出生―侍女於崎をめぐる高次・初・マリア・龍子―」『松江歴史館研究紀要』1号、2011年。 
  6. ^ “侍女懐妊 お初嫉妬 書状など分析、論文に 学芸員・西島さん”. 朝日新聞. (2011年5月14日) 
  7. ^ 小和田 2010, p. 167.
  8. ^ 宮本 2010, p. 24.


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お市次女

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