お市の方
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お市の方(おいちのかた)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。初め近江の戦国大名・浅井長政の継室で、後に織田家重臣の柴田勝家の正室となった。小谷の方(おだにのかた)、小谷殿とも称される。名は通説では「於市」で、「お市姫」(お市御料人)とも云い[1]、『好古類纂』収録の『織田家系譜』には「秀子」という名が記されている[2]。
注釈
- ^ a b 享年37とだけ伝えられており、生年は没年から逆算したものである。後述のように生年には異説がある。
- ^ a b 市の年齢は天文16年出生説に従うと20代となり、戦国期大名家中における女性の初婚年齢は平均13〜14歳で初婚としては遅く、市の生年が誤りであるか初婚でない可能性が指摘される他、市と長政の婚姻を永禄4年とする説も提唱されている[4]。
- ^ 市は通説では信長の妹であるが、江戸時代の『織田系図』に信長の従兄弟・織田広良(與康)の娘と記され、『以貴小伝』では「いとこにておはせしを妹と披露して長政卿におくられしにや」と記述されるなど従妹[5]とするものがあり、信長の叔父・織田信光の娘との説もある。
- ^ 信包の生母を土田御前とする場合はこれに信包も加わる。また、信長や信包の市に対する待遇が姉妹の中では大変厚かったことから、信長・信包の同腹の妹であるという説もある。
- ^ a b 長女の茶々(淀殿)は通説では浅井長政との娘だが、『浅井氏家譜大成』を根拠として、茶々は連れ子という説があり、当時では晩婚であったために長政以外の男性に嫁いだ可能性がある。
- ^ 明正天皇は独身で子がなかった。しかし、三女・江の娘・豊臣完子は九条幸家に嫁いで九条道房を生み、その子孫が大正天皇皇后・節子で昭和天皇の母であるため、今上天皇と血が繋がっている。
- ^ 宮島敬一は永禄10・11年説はないとしたうえで、婚姻は永禄2年6月以降遅くとも永禄6年を下らない時期とする[11]。
- ^ 江戸時代前期の寛文の末に書かれた軍談物『 浅井三代記』では、兄・信長の「娘分」として永禄7年(1564年)に近江国浅井長政に嫁いだとされる。
- ^ 奥野論文で存在が指摘された永禄8年12月に出された和田惟政から三雲定持・成持父子に充てられた書状(「福田寺文書」)の中に六角義賢が惟政に信長と長政の縁組の斡旋を指示したとする記述がある。当時、和田は足利義昭の上洛のために信長との交渉にあたっており、六角氏もこの時点では義昭方であった(後に離反する)[12]。
- ^ 『浅井氏家譜大成』によると、長男の万福丸は長政の先妻の子。次男の万寿丸は実母不明だが側室の子とされる。
- ^ 信長によって結婚の際に織田家から付けられた家臣。
- ^ 『渓心院文』[16]
- ^ 『南行雑録』所収堀秀政宛て天正10年10月6日勝家書状「覚書」[18]
- ^ 勝家と夫婦であった期間は6か月ほどに過ぎない。
- ^ 成人後の淀殿と兼任。
出典
- ^ a b 桑田 1979, p. 274.
- ^ 足立尚計著『風の俤 福井の客人たち』能登印刷出版部 2001年8月 ISBN 4-89010-385-6
- ^ a b c d 岡田 1999, p. 149.
- ^ 長浜市長浜城歴史博物館, 太田浩司「北近江の戦国史」.
- ^ 西ヶ谷 2000, p. 246.
- ^ 神田 2008, p. 97.
- ^ a b c 岡田 1999, p. 148.
- ^ a b 西ヶ谷 2000, p. 247
- ^ a b 奥野高廣「織田信長と浅井長政との握手」『日本歴史』248号、1969年。
- ^ 宮本 1986.
- ^ 宮島敬一『浅井氏三代』吉川弘文館、2008年、177頁。
- ^ 久保尚文「和田惟政関係文書について」『京都市歴史資料館紀要』創刊号、1984年。/所収:久野雅司 編著「足利義昭」、戒光祥出版、2015年、ISBN 978-4-86403-162-2。
- ^ 神田 2008, pp. 104–105.
- ^ 永田恭教「江と信長-知られざる前半生-」『歴史読本』56巻7号、2011年。
- ^ 桑田 1979, p. 276.
- ^ 宮本 2010, pp. 66–74.
- ^ 宮本 2010, pp. 74–75.
- ^ 高柳光寿『戦史ドキュメント 賤ヶ岳の戦い』〈学研M文庫〉2001年、25-26、226-227頁頁。(原本 春秋社 1978年)
- ^ a b c 桑田 1979, p. 278.
- ^ 桑田 1972, p. 15.
- ^ 桑田忠親『淀君』吉川弘文館、1958年、5-6頁。
- ^ 桑田 1972, p. 169.
- ^ 神田 2008, p. 106.
- ^ 神田 2008, p. 107.
- ^ 宮本 2010, pp. 93–94.
- ^ 宮本 2010, pp. 90–92.
- ^ 北川 2008, pp. 197–198, 「それからのお市と娘たち」.
- 1 お市の方とは
- 2 お市の方の概要
- 3 系譜
- 4 お市の方を主題とする作品
- 5 脚注
お市(おいち)
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お市(おいち)
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「うしろの正面カムイさん」の記事における「お市(おいち)」の解説
市松人形の付喪神。100年以上様々な持ち主を渡り歩き、坊主や神主たちを恐れさせてきた。髪を自由自在に操ることができる。カムイの事務所に送られて、怖がらせようとするが、逆に除霊される。その後は、カムイの事務所に住むことになり、除霊活動を一緒に行うようになる。
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「徳川家康 (山岡荘八)」の記事における「お市」の解説
信長の実妹。浅井長政に嫁ぎ、淀殿・常高院・小督を産んだ。のちに柴田勝家に再嫁する。
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お市(おいち)
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「ぼくらの戦国白球伝」の記事における「お市(おいち)」の解説
信長の妹。織田軍のマネージャーを務めている。かなりの美少女だが、髷と髭でしか信長を判断できない。
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お市(おいちのかた)
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「秀吉でごザル!!」の記事における「お市(おいちのかた)」の解説
信長の妹。浅井長政の下に政略結婚として嫁いでいる。藤吉郎が一目惚れした相手で、実質的に藤吉郎が織田についたきっかけともいえる人物。なお、信長は市を非常に愛しており、神の名を騙りお市を侮辱した謎の人物(藤吉郎)がいると聞くと激昂し、見つけしだい「千切り殺す」と宣言していた。
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「内閣総理大臣 織田信長」の記事における「お市」の解説
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お市(おいち)
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信長の実の妹。天下一の美女として知られる。光秀も幾度となくお市に対して下心を見せ、信長に300回も殴られていたらしい。信玄の駄洒落に対して真面目に返答するなどやや天然ボケの面があり、お長曰く「しっかりしてなくて頼りにならないダメな姉」。その一方、幕間では腹黒い一面を見せており、自身が前より若々しくなっていることを指摘したお長に詰め寄ったり、自身をけなしつつも心配したお長に対しては幼少期のお長の寝小便を自身が処理していたことをネタに威圧していた。
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お市
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信長の妹で絶世の美女。浅井長政に嫁いでいたが、浅井家滅亡後は三人の娘と共に織田家に戻っている。夫の長政とは深く愛し合っていたため、夫と当時十歳だった息子・万福丸を殺した兄と、その命を実行した秀吉を深く恨んでいる。勝家、秀吉双方から好意を向けられていることに気づいており、秀吉への恨みを晴らすべく勝家を利用する。
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お市(声:金月真美)
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信長の妹で絶世の美女。浅井長政に嫁ぐが、浅井家滅亡後は子供(茶々)と共に信長の下に戻る。仲間になるにはゲームモード上級でプレイし、「長篠決戦」をクリアしたあとの評定をむかえなければならない。武将系統は「僧侶」。
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お市(おいち)
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信長の異母妹。黒人の母譲りの肌に劣等感を抱いていたが、長政に見初められて仲睦まじき夫婦となった。兄譲りの気性と武芸の持ち主。
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