和田惟政(わだ これまさ) 1532~1571
和田惟政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 21:31 UTC 版)
和田 惟政(わだ これまさ)は、戦国時代の武将。室町幕府末期の幕臣。父は和田宗立(惟助)。
- ^ 寛政重修諸家譜、諸家系図などによる没年齢42歳からの逆算
- ^ 「江州甲賀廿一家之由来書」
- ^ 『甲賀郡志』下巻
- ^ a b 久保尚文「和田惟政関係文書について」
- ^ ただし、この姉川の戦いに参加したとする記録は宣教師の記録にあるのみで、合戦の同日に摂津国内で惟政が出した寺社への禁制の文書(今西文書)が存在する事や、他の公方衆も参戦していない事などから、実際に参加したかどうかは疑わしい。ただ、永禄12年(1569年)10月の浦上攻め後から、元亀元年(1570年)3月まで信長関係の資料に一切登場しなくなるのは事実であり、信長と義昭の対立の中で一時存在を疎まれたのは事実のようである。
- ^ 『フロイス日本史』より。また彼を討ち取ったのは中川清秀とされる『寛政重修諸家譜』
- ^ 和田惟長の記事のように江戸時代まで生き延びたという(『寛政重修諸家譜』)説もあるが、いずれにせよ和田氏は没落している。
和田惟政(わだ これまさ)
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「センゴク」の記事における「和田惟政(わだ これまさ)」の解説
通称は伊賀守。義昭の家臣。義昭の使者として織田信長の元へ現れ、信長の上洛を後押しする。
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