白井河原の戦い
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白井河原の戦い(しらいかわらのたたかい)は、元亀2年(1571年)8月28日に摂津国白井河原一帯で行われた戦い。摂津池田氏を追放して三好三人衆と結ぶ荒木村重・中川清秀らの軍が、将軍足利義昭方の茨木重朝・和田惟政軍を破った。これを境に摂津三守護(池田勝正、伊丹親興、和田惟政)は勢力を失い、荒木・中川や高山友照・右近父子などが摂津の支配者となる。戦国時代から安土桃山時代初期への世代交代の戦いとも考えられている。
- ^ 久野雅司「足利義昭政権滅亡の政治的背景」『戦国史研究』第74号(2017年)/久野『織田信長政権の権力構造』(戎光祥出版、2019年) ISBN 978-4-86403-326-8 2019年、P185-188.
- ^ 『中川史料集』
- ^ 『茨木市史』
- 1 白井河原の戦いとは
- 2 白井河原の戦いの概要
- 3 開戦までの経緯
- 4 戦いの情況
- 5 戦後の影響
- 6 補説
固有名詞の分類
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