南北朝時代~江戸時代とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 南北朝時代~江戸時代の意味・解説 

南北朝時代~江戸時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 21:28 UTC 版)

騎兵」の記事における「南北朝時代~江戸時代」の解説

南北朝時代ころから日本はかつての騎兵中心とした戦争から歩兵中心戦闘移行し騎兵それ以前とは異な運用がされるようになっていった。足軽が軍の主力となる事で歩兵戦闘が戦の中心となり状況によって降りて戦う事も必要とされてきたのであるルイス・フロイス著書日本史』第41章、元亀二年(1571年八月和田惟政白井河原の戦い騎馬武者下馬させ戦闘した項で、「交戦の際には徒歩で戦うのが日本習慣だから」と説明している。 『軍法侍用集』にも騎馬集結運用する陣形登場しており、馬、鉄砲運用について言及した長宗我部元親文書や『雑兵物語』などの当時文献でも、その様子を窺い知る事が出来る。上記フロイス記述がある一方その4年後の天正三年1575年)の長篠の戦い徳川家臣として従軍した水野正重書上覚書水野左近物語」(譜牒余録巻三)には戦闘中武田騎馬武者が3~50騎の集団で陣城前の柵まで攻め寄せてきた記述があるし、評定での織田信長言葉として「武田家中の者はよく馬に乗り敵陣乗り破る由聞き及びたり、さらに手立てせよ」といい陣前に柵を備えた事が記述されており、他にも騎馬隊による騎乗戦闘があった記述多くのこされている。当時馬用の鎧(馬の博物館所蔵)が存在していた事もあり乗馬戦闘皆無だったという訳ではない。先述フロイス記述もあくまで少数だった和田勢が多勢の敵に対し密集して挑む為に下馬して戦ったまででその方理に適っていたからである(戦場地形騎乗戦闘適していたかも考慮しなければならない)。 また戦国後期になると各兵科毎に集めて部隊を組む事も行うようになっており(戦国遺文後北条氏第3巻、1923号には北条氏直武蔵岩附衆に当てた書状にて小旗、鑓、鉄砲、弓、歩者、騎馬兵科毎に奉行を置き総勢1500人程の岩附衆がそれぞれの兵科毎に奉行率いられて戦う様に書かれている後期には兵科分けが行われた。 重騎兵優位性低下した西欧においては火縄銃装備した新し騎兵竜騎兵登場したが、日本そののち江戸時代入り250年もの間戦争がほとんどなくなったため、以降独自に騎兵発展することはなかった。

※この「南北朝時代~江戸時代」の解説は、「騎兵」の解説の一部です。
「南北朝時代~江戸時代」を含む「騎兵」の記事については、「騎兵」の概要を参照ください。


南北朝時代・江戸時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 06:21 UTC 版)

皇国史観」の記事における「南北朝時代・江戸時代」の解説

皇国史観先駆は、南北朝時代に、南朝北畠親房著した『神皇正統記』である。江戸時代には水戸学国学がおこり、幕末になると尊皇攘夷運動盛んになった。

※この「南北朝時代・江戸時代」の解説は、「皇国史観」の解説の一部です。
「南北朝時代・江戸時代」を含む「皇国史観」の記事については、「皇国史観」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「南北朝時代~江戸時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「南北朝時代~江戸時代」の関連用語

南北朝時代~江戸時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



南北朝時代~江戸時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの騎兵 (改訂履歴)、皇国史観 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS