南北朝期内の段階区分とは? わかりやすく解説

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南北朝期内の段階区分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 09:33 UTC 版)

南北朝時代 (日本)」の記事における「南北朝期内の段階区分」の解説

南北朝時代の中での段階区分については、以下のような説がある。 林屋辰三郎は、厳密な暦年により区分するではなく、各時代を代表とする人物によっておおまかに4つ分けている。 第1期建武政権成立から王朝権力没落で、結城宗広楠木正成足利尊氏が代表。 第2期観応の擾乱によって南朝一時的に勢力回復した時期で、後村上天皇が代表。 第3期室町幕府守護強大化し権力分散され、やがて再編され過程で、佐々木導誉が代表。 第4期国内統一完成期で、足利義満が代表。 『国史大辞典』(佐藤和彦担当)は、以下のように4つ区分している(前史を「1期」とカウントしているため、厳密に3期区分である)。 第1期内乱前史13世紀後半鎌倉幕府執権体制の崩壊から、元弘の乱建武の新政建武の乱室町幕府成立経て後醍醐天皇吉野への脱出延元元年/建武3年12月21日ユリウス暦1337年1月23日))まで。 第2期内乱の展開。後醍醐天皇吉野脱出して南朝成立してから、正平3年/貞和4年1348年1月高師直四條畷の戦い楠木正行敗死させ、2月南朝吉野行宮攻略後村上天皇賀名生行宮遷すまで。 第3期内乱深化正平22年/貞治6年1367年)に南北朝間の和平交渉再開される頃まで。 第4期内乱終焉正平22年/貞治6年1367年)の細川頼之管領就任から南北朝合一まで。 『日本大百科全書』(永原慶二担当)も『国史大辞典』とほぼ同じだが、前史除外して3期数えている。 第1期:1336–1348年南朝成立から、四條畷の戦い楠木正行戦死後村上天皇が行宮を賀名生遷すまで。 第2期13491367年観応の擾乱から足利義詮の死まで。 第3期:1368–1392年足利義満将軍就職から両朝統一まで。

※この「南北朝期内の段階区分」の解説は、「南北朝時代 (日本)」の解説の一部です。
「南北朝期内の段階区分」を含む「南北朝時代 (日本)」の記事については、「南北朝時代 (日本)」の概要を参照ください。

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