『神皇正統記』とは? わかりやすく解説

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『神皇正統記』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 01:35 UTC 版)

正中の変」の記事における「『神皇正統記』」の解説

討幕説は、後醍醐天皇側近北畠親房事件15年後に著した『神皇正統記』(延元4年/暦応2年1339年))にも現れている。 親房の書きぶりでは、「後宇多上皇崩御」→「後醍醐天皇皇太子邦良親王間の対立活発化」→「邦良側が幕府支持を受ける」→「後醍醐幕府激怒」→「元亨4年9月何らかの運動露見」(「元亨甲子九月すえつかたやうやう事あらはれにしかども」)→「日野資朝流罪の後に沙汰止み」という順序になる。 しかし、河内祥輔によれば同時代人でしかも腹心とはいえ親房の記述そのまま鵜呑みにはできないという。まず、後宇多上皇6月25日崩御してから、正中元年事件まで2か月あまりしかない。しかも、後醍醐と邦良の対立たしかに後宇多崩御直後から始まってはいるものの、本格的になったのはこの事件の「後」であり、時系列信用することができない。したがって、「元亨甲子九月すえつかたやうやう事あらはれにしかども」の部分後宇多崩御直後繋げしかないが、そうすると今度は「後醍醐幕府敵意持った」という記述倒幕運動である(と親房が考える)正中元年事件の後になってしまい、親房の論理矛盾してしまう。よって、『神皇正統記』によって、正中元年事件倒幕計画考えることはできないという。 親房は後醍醐討幕目指し理由について「皇位継承問題」説を取っている訳だが、上記述べたように、これは正中の変討幕説とは時系列相容れない逆に言えば正中の変討幕説は疑わしいので、後に後醍醐討幕目指し理由一つが、親房の言う通り皇位継承問題」である可能性高くなってくる、と河内主張する。 親房がなぜ正中事件討幕説を書いたのか不可解だが、河内想像ではあるがとしつつも、後醍醐天皇元弘の乱討幕成功した後に、後醍醐自身が実は正中の変討幕運動だったというような(事実異なる)発言を親房にしたのではないだろうか、と推測している。

※この「『神皇正統記』」の解説は、「正中の変」の解説の一部です。
「『神皇正統記』」を含む「正中の変」の記事については、「正中の変」の概要を参照ください。

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