倒幕運動
倒幕運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 01:03 UTC 版)
大村藩に帰藩後、勤王を名目に密かに「三十七士同盟」を結成する。元治元年(1864年)9月21日、梅沢武平とともに元締役・富永快左衛門を暗殺した。同年には大村藩の藩校改革も進めた。長崎で土佐浪士・坂本龍馬と会談し、坂本から薩長同盟の必要性を説かれ、長州藩への働きかけを頼まれる。昇は長州の説得に奔走し、長崎で長州藩と坂本を引き合わせ薩長同盟の成立に尽力した。 兄の清とともに大村勤皇党を率い、京都でも坂本龍馬、桂小五郎、高杉晋作、西郷隆盛、大久保利通ら諸藩の志士と交流する。品川弥二郎の命令で盛んに人を斬った。近藤勇の率いる新選組の隊員も殺したが、近藤自身は昇が佐幕派の刺客に狙われていることを知ると、ひそかに警告に訪れたという(もっとも、昇は大村に帰藩していて不在であった)。大佛次郎の小説『鞍馬天狗』のモデルはこの頃の昇という説がある。 慶応3年(1864年)、三十七士同盟の同志・針尾九左衛門と松林廉之助が襲撃され、針尾は重傷を負い、松林は死亡する。事件は佐幕派の犯行とされ、昇は粛清によって強引に藩論を尊王にまとめ上げる(大村騒動)。
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