長宗我部旧臣系の上士
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 06:56 UTC 版)
吉田氏 - 吉田東洋、吉田正春 武市氏 - 武市正恒、武市瑞山 宮地氏 - 宮地信貞(坂本龍馬の大叔父)、宮地茂春 大黒氏 - 大黒清勝(無双直伝英信流居合宗家) 池田氏・林氏 - 林政誠、池田政承(無双直伝英信流居合宗家) 谷氏 - 谷秦山、谷干城 本山氏 - 本山茂任 明神氏 - 明神善秀 「長宗我部氏臣下だった者は下士(郷士)で明確に身分が分けられ長年身分の格差に虐げられてきた」とするのは、司馬遼太郎らによる歴史小説の影響(司馬史観)で史実とは異なる。その結果、幕末には土佐の豊かな風土から独特の豪快ないごっそうという気質が生まれ、板垣退助、後藤象二郎、谷干城、武市瑞山、坂本龍馬、中岡慎太郎といった人材を輩出した。藩論は討幕・佐幕に二分され、山内容堂も「酔っては勤皇、覚めては佐幕」と揶揄されたが、武力討幕を推し進める板垣退助が中岡慎太郎の仲介で西郷隆盛と結んだ薩土討幕の密約を承認し、藩の軍制改革、練兵の近代化を図った。一方で幕府に大政奉還を促し穏健に徳川家を存続させる薩土盟約も承認して、藩内の討幕派・佐幕派の攻防が加速したが、大政奉還は、幕府の権威を段階的に削ぎ落とす効果を発揮した。さらに鳥羽・伏見の戦いにおいて、容堂の静止を振り切り薩土討幕の密約に基づき緒戦より藩士・山田平左衛門、吉松速之助、山地元治、北村重頼らが参戦。これにより勤皇討幕が決定的となり、土佐勤王党で活躍した郷士達は、戊辰戦争では迅衝隊に加わるなど華々しい戦果を挙げた。会津戦争では、会津藩の身分格差が激しく庶民らが幕府に不満を募らせ、官軍の進行を阻む人が居ないばかりか、落城し城主・松平容保が寺へ謹慎する際も見送りに来る人は、一人もおらず、この経験が、板垣退助ら戊辰戦争従軍者らが明治維新以降、自由民権運動に参画する動機ともなった。 詳細は「薩土討幕の密約」を参照
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