長宗我部盛親期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 10:07 UTC 版)
「長宗我部盛親#生涯」も参照 慶長4年(1599年)に元親が死去し、長宗我部盛親が第22代当主となる。翌慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで盛親は当初東軍につこうとしたが、徳川家康への密使を関所で留め置かれ、西軍にくみする。本戦では実際の戦闘に参加しないまま西軍は敗戦し、戦後に津野親忠を殺害したことを咎(とが)められ、所領を没収されて改易となる(浦戸藩)。なお、盛親の家督継承の経緯などが問題視されたためか、元親の死後も豊臣政権は盛親の長宗我部氏家督と土佐支配の継承を正式には承認しないまま、関ヶ原の戦いを迎えたとする説もある。
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