倒幕の象徴とは? わかりやすく解説

倒幕の象徴(1853〜1868年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 23:48 UTC 版)

村正」の記事における「倒幕の象徴(1853〜1868年)」の解説

「#匕首腰間鳴」も参照 このように村正徳川将軍家仇なす妖刀であるという伝説は、当の幕府自身含めて幕末の頃には完全に定着していた。1854年から、維新志士一人岡谷繁実『名将言行録』書き始め出版維新後1869年)、この中真田幸村伝で、幸村村正を常に帯刀していたと水戸光圀褒めていたという文章が『桃源遺事』から引用されるなど、倒幕の刀としての村正意識されていたことがわかる。このため徳川家対立する立場の者には逆に縁起物の刀として珍重され西郷隆盛始め倒幕派志士多く競って村正求めたという。急な需要増加のため、市場には多数村正ニセ物出回ることになった(#三品広房)。また、有栖川宮熾仁親王も本来は親王が持つ格ではない村正所持していた。三条実美太宰府天満宮村正短刀奉納し王政復古大願成就祈願している。 本阿弥光遜西郷隆盛遺品調査したところ(『南洲遺愛台帳』)、隆盛鉄扇仕込み村正短刀(銘「村正」)を所持しており、鉄扇親骨には「匕首腰間鳴蕭々北風起/平生壮士心可以照寒水」という詩が刻まれていた。古代中国侠客荊軻が、地図隠した匕首短刀)ただ一口だけを手に蕭々と物寂しく)風が鳴る冷たい川を渡り秦始皇帝暗殺の旅、不帰の旅へと出る前に吟じた詩のオマージュ思われ隆盛気概感じる事ができる。 熾仁親王隆盛江戸無血開城の立役者である。最後まで村正徳川家に仇をなしたのか、という『西日本新聞記者問いに、渡邉妙子は、むしろ親王村正徳川家江戸人々守ったではないか、と答えている。

※この「倒幕の象徴(1853〜1868年)」の解説は、「村正」の解説の一部です。
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