三品広房とは? わかりやすく解説

三品広房

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 23:48 UTC 版)

村正」の記事における「三品広房」の解説

三品広房(みしなひろふさ、1806–1885年8月19日)は、三品派の刀工で、義明斎または義面斎とも号し三重県桑名市活躍した古刀写し名人として名高く、その村正写し真作に迫る。伝承では正宗十哲一人志津三郎兼氏末裔。つまり、兼氏九代孫を称したのが織田信長鍛冶師だった兼道(後に陸奥守大道名乗る)で、その末裔九代大道一徹大道)の弟が三品広道、そして広道長男が広房である。 広房は由緒正し血筋を引き、本来は相当の腕前を持つ刀工だったが、幕末刀剣需要圧されて、一時期、末備前中心に偽銘古刀の数打物打ち、これらの贋作は「桑名打(くわなうち)」と呼ばれていた。桑名打は広房と弟の広道(父と同名)が明治2年1869年)ごろまで打っていたという。贋作ではあるが、名工広房は技量惜しみなく注いだようで、日本刀鑑定家大村太郎証言によると、桑名打は実用性という点ではむしろ古刀オリジナル超えていることもあり、実によく斬れることで評判で、大村は「『本物上の偽物』、という世にも不思議なもの」と評している。 贋作ではなく本名の広房を名乗って村正写し作ったものもある。代々村正中でも特に全盛期である大永期(1521-1528年)の村正短刀模して打ったのである。これは世に数ある村正写し中でも最高傑作とされ、真作村正にも劣らぬ会心作で、もし「勢州住義明斎廣房之」の銘がなければ健全至極の状態の最盛期村正の作として物議を醸したであろうほどの出来栄えだという。 上記のような諸事情はあったが、広房が自分の銘で打った刀や、その村正写し優れた作品として高い評価受けている。広房自身名工だったので、元贋作師なのに逆に自分贋作作られる立場でもあり、現代刀に広房の偽銘切った刀なども現存する廃刀令の後は、包丁ハサミ仕込み杖などの製作を中心としていた。1989年の頃は桑名市鍛冶町で広房の子孫が優れた刃物生産していて、2017年時点も同地で「廣房打刃物店」として六代広房である三品貴史包丁などを打っており、ひろふさ製の包丁地元桑名代々愛用されているという。

※この「三品広房」の解説は、「村正」の解説の一部です。
「三品広房」を含む「村正」の記事については、「村正」の概要を参照ください。

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