公武合体派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 03:51 UTC 版)
一方、越前藩の松平慶永(春嶽)、薩摩藩の島津斉彬・久光ら公武合体派の有力者からは、朝幕の連携に加え、外様藩をも含めた有力諸藩が力を合わせて挙国一致の体制を築くことが主張された。 詳細は「公議政体論」を参照 これは従来の譜代大名が就任する老中制に変革を迫るものであり、保守的な幕閣との摩擦は避けられないものであったばかりか、幕府中心の公武合体政策とも次第に齟齬をきたした。彼らは通商条約の異勅調印には批判的であったものの、開国・通商容認論が大勢を占めており、戦争も辞さぬ破約攘夷を唱える尊王攘夷急進派と鋭く対立した。
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