新徴組脱退と維新
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 14:12 UTC 版)
元治元年(1864年)に、新徴組が庄内藩預かりとなる。庄内藩の佐幕強硬派からの影響で、新徴組が次第に佐幕へと傾向を強めると、新徴組を脱隊した。 脱隊前より庄内藩穏健派や、幕府の元軍艦奉行で公武合体派の勝海舟、桶町千葉道場同期同門の海援隊・坂本龍馬らとも懇意であった上に、庄内藩改革派や公武合体派、攘夷派も剣の腕前や人柄を頼りに柏尾に接近、彼らに維新の志士として力を貸すこととなる。 幕府佐幕派や庄内藩保守強硬派に批判的な脱退だったこともあり、自身の身の上も危うい立場だったにもかかわらず、庄内藩穏健派や幕府穏健派、攘夷派の要人警護を行ったり、尊皇攘夷派、討幕派、勤皇派武士を匿ったりしている。
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