新応援団の発足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 16:58 UTC 版)
「東京農業大学全学応援団」の記事における「新応援団の発足」の解説
応援団解散と同時に新たに応援団結成準備会が出来、1950年(昭和25年)11月10日、全学生の支持を得て心機一転した応援団が再発足した。1953年(昭和28年)7月には楽器が購入され、ブラスバンドの練習が始まった。そして11月13日に五者管理委員会が開催され、ブラスバンド部を応援団の一部として正式に発足することとなった。1960年(昭和35年)6月25日、応援団幹部内で暴力事件が起き、活動即時停止処分を受け、団長以下4年生は幹部役員を辞任した。自治会は応援団の暴力事件を批判し、同時に全学組織を廃止し任意の部にしようと主張した。1961年(昭和36年)、三団体統一に関する草案が第4回自治委員会の議案に上程された。その内容は、「農友会に所属している体育団体と文化団体はそれぞれ体育連合会、文化連合会として自治中央執行部の下におく」「新聞部は独立する」「応援団は応援指導連合会として中央執行部の下におく」「生協は分離独立していること」であった。1962年(昭和37年)10月25日、大学側の回答は『農友会および応援団は大学の特別教育活動のための機関であり、学生団体ではないので、学生団体としてこれを統合あるいは脱退することは認めない』であった。その前年、東京都吹奏楽連盟が結成されたと同時にブラスバンド部が加盟し、吹奏楽部へ改名する。1963年(昭和38年)には連盟を脱退するが、翌年に再加盟している。
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