『神曲』の成立
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ダンテが『神曲』を世に出した背景には、当時のイタリアにおける政争と自身のフィレンツェ追放、そして永遠の淑女ベアトリーチェへの愛の存在が大きい。また、ダンテは、ヴェローナのパトロンであるカングランデ1世(イタリア語版)への書簡で、人生における道徳的原則を明らかにすることが『神曲』を執筆した目的であると記している。 『神曲』地獄篇は、1304年から1308年頃に執筆されたと考えられている。1319年には、地獄篇と煉獄篇は既に多くの人に読まれており、ダンテは名声を得ていたことが分かっている。天国篇は1316年頃から死の直前、1321年にかけて完成された。『神曲』は、当時の知識人の共通語であったラテン語ではなく、トスカーナ方言で執筆されたことも、多くの人に読まれた理由である。
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