『神皇正統記』とは何か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 15:03 UTC 版)
「神皇正統記」の記事における「『神皇正統記』とは何か」の解説
誰に向けて、何のために書かれたのかは確定していない。 最も有力な説は、幼少の後村上天皇を教育するための、帝王学の書という説である。この場合、主に『易経』(周易)および『孟子』からの影響が見られると言われる。それは、「南朝の正統性を主張した」などという素朴な国粋主義ではなく、「徳がない君主の皇統は断絶し、別の系統の皇統に正統が移る」という厳しい理論を後村上に突きつけたもので、易姓革命論ならぬ「易系革命」論とも言うことができる。そして、自身の皇統が正統であり続けるために、自己修養を疎かにせず、欲を捨てて民のために尽くすように訓戒したものであるという。 第二の説は、結城親朝ら東国武士を南朝に勧誘するための書という説である。武士にも日本の歴史がわかりやすいように、既存の歴史書よりも簡単に書くとともに、結城宗広(親朝父)や結城親光(親朝弟)の南朝への忠誠心を褒めることで、親朝らを自派へ引き込もうとしたのではないか、という。20世紀後半の一時期は通説に近かったが、その後の支持はやや落ちている。 第三の説として、「善とは何か」「正統、つまり過去・現在・未来に渡って持続する善は存在するのか」という哲学的命題を、自分自身に問いかけた哲学書であるという説がある。静的な現在の善は、儒学の有徳君主論によって保証することができる。過去から現在への善の持続は、天照大神の神勅や三種の神器などの神道の論理によって保証することができる。しかし、現在から未来への方向、動的に今まさに次の時間の流れに持続している現在の善は、本質的に行動を要請するものであり、言葉や文字によって全てを表現することはできない。『神皇正統記』の内容に揺れがあるのは、このためである。そして、親房が死の際に至るまで苦闘を続けたのは、『神皇正統記』では書き表すことができなかった摂理を行動によって示すためであり、北畠親房という人間の生涯そのものが、一つの生きた哲学書なのであるという。
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