『神札問題』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/10 12:10 UTC 版)
大石寺では、その教義の上から、神札を謗法と呼び祀ってはならないとされている。しかし、太平洋戦争の時代にあっては軍部により、神札を押し付けられるという事態が発生し、その対応に苦労した。 1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争勃発。 1943年(昭和18年)、大石寺大書院が、軍部に中部勤労訓練所として徴用され、訓練所の所長らに神札を祀られるという事件が発生した。大石寺側は宗旨に反するからという理由で抗議をしたが、軍部は受け付けなかった。 1943年(昭和18年)6月、創価教育学会の牧口常三郎会長、戸田城聖理事他数名を登山させ、神札受取に関して本山とやり取りした記録。 (※牧口氏)「天照大神は天皇陛下の先祖であつてかえつて我々がズケズケおまいりするのは不敬になるとしているだけなのです。今少し強く申し上げたいと思いますが、時ではないと思うので、これでも心掛けているつもりです。ただし謗法だけは我等の会員にはさせたくないと思いますが、どうしたものでしようかな」(※本山側)「一度神札を受けてそつと処分すると云う様な方法か、又積んで置いてもそれ程の害はありますまい」(戸田城聖 昭和28年12月6日付け聖教新聞) これに対し、平成29年5月現在の創価学会は「宗門側は『総本山でも一応受取っているから祀る祀らないは、それぞれの判断で良いのではないか?学会でも一応受け取ってはどうですか?』と申し入れた。それに対し牧口は「一宗一派が滅びることはいい、一国が滅びることは、あってはなりません」と述べて神札を受け取らない姿勢を貫いた」と言っている。 これを「神札問題」と呼ぶ。 1943年(昭和18年)7月、牧口常三郎、戸田城聖を始めその他の創価教育学会員は、治安維持法違反、伊勢神宮に対する不敬罪にあたると軍部が決め、逮捕投獄され創価教育学会は壊滅的な状態に追い込まれた。
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