入信と事業経営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 22:13 UTC 版)
妻子を病気で失い、自らも肺結核を患う中、日蓮正宗信徒になった牧口常三郎の折伏によって戸田も入信。前後して、受験準備のための学習塾「時習学館」を主宰、学習参考書の走りともいえる『推理式指導算術』を出版する。『推理式指導算術』は評判を呼び、100万部を超えるベストセラーとなった。当時の受験生からは「受験の神様」と呼ばれる。 これをきっかけにして本格的に出版事業に乗り出し、「日本正学館」を設立。牧口の教育理論である『創価教育学体系』や、同郷の作家子母澤寛の小説などの出版を手がける。この『創価教育学体系』の初版が発刊された1930年(昭和5年)11月18日を創価教育学会の設立日としている。なお、牧口の著作は「創価教育学会」が出版した。戸田は出版業以外に金融業や証券業にも乗り出し、事業家として一定の成功を収める。1940年(昭和15年)の第2回総会で正式に創価教育学会理事長に就任し、学会の活動を主に財政面で支えた。 1943年6月、牧口とともに日蓮正宗総本山大石寺に呼ばれた戸田らは、第62世管長・鈴木日恭と堀日亨同席の下、庶務部長から「学会も一応、神札を受取けるようにしてはどうか」と申し渡されたがこれを拒絶する(「神札問題」)。その後、創価教育学会は登山を禁止された。宗教統制策に反対したことで7月に戸田、牧口をふくむ幹部21名が検挙。
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